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ねぎとろ丼

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乙女恋愛狂想(後編)

※オリキャラが出ています。苦手な方はご注意を。また、所によってはグロテスクな表現があります。



   『乙女恋愛狂想』(後編)



 至福の時。それは惰眠のことである。
 藍に何度も起こされながらも抵抗して寝転がっているのは気持ちの良いものである。
「紫様~、もうお昼ですよ~。いい加減起きたらどうですか」
「ん~ん~」
「紫様の昼食、捨てますよ」
「んーんー」
「……二日、三日も寝ようとするなんてだらしないですよ」
「放っておきなさい! それに私はまだ半日しか寝てないじゃない!」
「そういう問題ではないかと……大体妖怪なんですから、睡眠なんてしなくても生きていけるじゃないですか」
「わかってないわね」
「睡眠なんて、そんなの人間の振りしてるだけじゃないですか」
「じゃあ、あなたは寝ないの?」
「休憩はしますけどね。なにぶん、頭を使うことが多いですから」
「ほら見なさい。私だって脳を休めたいのよ」
「休みすぎです。紫様は単純に寝たいだけじゃないですか」
「だからそういう意味をこめて寝たいのに」
「……」
 何か諦めたような表情をして部屋を出て行った。しめしめ、これでまた暫く寝ることができる。
 そう思って布団を被り直すと、またまた藍が部屋に入ってきた。
「た、た、た、た、大変です!」
「……何よー」
 これまた随分と慌てた表情になって帰ってきた。そんな風に騒がれてしまっては眠気が覚めてしまうではないか。
「侵入者ですよ! 巫女と人間が……」
「えぇ!?」
 寝ていられる状況じゃなくなった。巫女と人間がこのマヨヒガに侵入してきただと?
「今そいつらはどうしている?」
「警備をさせている式神が人間にやられました。ただ、巫女は何もしていない様です」
「はい?」
「巫女はついてきただけ、みたいですね。人間が一人で暴れています。すぐに殺しに行ってきますよ」
「待ちなさい、その人間は私を狙ってるに違いないわ」
「……まさか、例の男とでも?」
「絶対にそうよ」
「いい加減にしてください。恋愛だか何だか知りませんが、人間一人にマヨヒガを無茶苦茶にされてるんです。これは舐められているってことですよ」
「だから何? 私はずっと彼が来るのを待っていたのよ」
 一体どうやって彼が来たというのだろう、と不思議に思っていたが巫女が居るということで推理は出来た。
 結界を張ったり、破ったりするのが得意な巫女に頼んでマヨヒガへ侵入して来たというところだろう。
 慌てて衣服を整えて表へ出た。髪を梳く時間も惜しんで、彼に早く会いたい。
 表へ出てみると随分と荒らされた様子になっていた。良い感じに私を憎んでくれているままの様だ。
 階段を降りたところに広がる庭の花壇は踏み荒らされ、壊滅状態。門の扉も破壊されている。
 外の世界から持ってきたお洒落な扉だったのに、酷い有様。
 家の前の石畳になっているところに彼が座っていた。その近くには巫女が居て、彼と何か喋っている様だった。
「本当に帰ってしまっても大丈夫なの? 私が居なくなったら、あなたはどうやって帰るつもりなのよ」
「あいつとやった後のことなんか知らねぇよ、適当にやるだけだ」
「……本当に知らないわよ」
 黒い髪に紅白の巫女装束を来た博麗の巫女が彼を心配そうな顔で見ている。
 巫女は踵を返し、空を飛んでこのマヨヒガから出て行った。彼一人が取り残された、ということになる。
 いや、話からすると彼は帰るつもりが無い様である。私と心中でもするつもりなのだろうか?
「よう、めりい。いや、八雲紫か。ようやくお前の所に来てやったぞ……」
「ええ、良く来てくれたわね。歓迎するわよ、カツヒコ君」
 微笑んで会釈をした。厳つい表情の彼も一瞬笑った。かと思うと、すかさず矢が飛んできた。
 手で受け止めてやったが、例の札が貼られた物だった様で手に火傷でも負った感じの痛みがした。
「もう逃がさねえぞ。今日こそ殺す。絶対殺す」
 彼が背中に背負っている矢筒を良く見ると、全ての矢に札が貼られていた。
 まさか量産してやって来るとは思ってもみなかった。
 カツヒコ君が勢い良く飛び出し、階段を駆け上がってくる。その間も矢の射撃は止まらない。
 私も彼の様に飛び道具で応戦してみようと思い、結界の力を応用して光線状の射撃を打ち込んだ。 
 私の攻撃に彼が驚いた表情を見せるが、彼は飛び跳ねてそれを避けた。
 人間なのに良い反射神経と運動神経をしている、と心底関心した。
 あれからまた鍛えてきたのだろう。やはり彼は最高だ。最高の人間だ。
 おそらく今の私にとって殺しあいをする相手としては、彼以外にありえないだろう。
「死ねっ!」
 私のすぐ傍まで接近していた彼が刀を抜き、振り下ろしてきた。その刀には札がビッシリと貼られている。
 慌ててスキマに手を伸ばし、適当な刀を手に取って私も応戦する。ちょっとチャンバラごっこでもしてやろう。
「この野郎、父ちゃんと母ちゃんの仇を今日こそ……!」
 前に彼が天狗を倒したときのことを思い出す。実際にこうして斬り合ってみると彼の努力の結果に納得する。
 大して刀の稽古をしている私ではないが、それでも妖怪としての身体能力だけで勝てると思っていたのに中々どうして、勝てないものなのだ。
 二刀流に切り替え、手数で押してみようとするがそれでも押し切れない。
「おいおい、どうしたんだよ大妖怪の八雲さんよぉ! さんざん馬鹿にしてきた俺にこうやって押されて……悔しくねぇのかっ!?」
「……ふふ、もっと攻めてくれて構わないわよ。大好きなあなたに、斬られるのなら」
 刹那、彼が大きく跳躍した、らしい。手加減してはいたが、突然の出来事に一瞬彼が消えたように見えた。
 瞬間、胸と腹に襲ってきた大きな痛み。怨念の篭もった刀が私を袈裟懸けに斬ったのだ。
「ざまぁみろ、くたばっちまえ!」
「……」
 物陰から私と彼の戦いを見ていた藍は今にも飛び出してきそうな感じであった。
 笑顔を見せて彼女を制止し、彼にも微笑えんだ。
「何を笑っていやがる」
「嬉しいのよ。ここまで強い人間は珍しいものだから」
「……おいおい、この刀で斬っても死なないっていうのか、お前は」
 対妖怪の札は怖い。それに当てられれば痛い。だがはっきりいって死ぬ危険性はない。
 初めてあの札の貼られた矢を打ち込まれたときは本当にびっくりする程痛かったが、あれで死ぬとは思っていなかった。
 事実致命傷ではなかった。所詮人の作ったものなど限度があるということ。
 巫女の様に生まれながらにして妖怪を退治する素質を持っている者でもないのに、私を完全に殺そうなど笑止千万。
 私の肩を切り裂き、胸にまで食い込んだところで止まっている短刀に手を置き、力任せに刀を砕いた。
 唖然とする表情になっていくカツヒコ君。勝負ありだとわかってくれた藍は家の中へ入って行った。
「嘘だろ……お前、これが効くんじゃなかったのかよ!」
「嘘じゃない、効くことは効く。ただ、それでも私を殺せるほどじゃなかったということでしょう」
「ふざけるなよ! くそ!」
 彼がやけくそ気味に矢をボウガンに装填し、私に矢を打ち込む。矢筒に残っているものを全て私に打ち込む。
 折角お洒落してきたドレスが穴だらけになっちゃった、と思いながら刺さった矢をそのままで彼を突き飛ばし、石畳のところまで運んでやった。
「おい、待ってくれ……俺は何のためにここまで来たと思ってるんだよ……こんなのってありかよ!」
「これが現実。これが人間と妖怪の差、よ」
 彼は愕然としている。刀を失い、矢も切れた彼にはもう武器が何一つ残されていない。
 歩いて近づき、倒れている彼の左足を思い切り踏み潰す。彼の左足ごと石畳がへこんだ。
 初めて見る彼の泣き顔。鼓膜に響く喚き声を上げている。私はカツヒコ君の悲鳴を聞いて性的快楽に似た気持ち良さを得ていた。
「酷い、酷いわ。カツヒコ君ったら私のお気に入りのドレスをボロボロにしたんですもの」
「足が! くそっ!」
「女の子にここまで暴力振るなんて、ほんとカツヒコ君って最低だわ」
 今度は彼の右手を踏み潰してやった。彼は目から溢れんばかりの涙を流している。
「ま、待、手……動かな……」
 次にできるだけ力を抜いた踏みつけを彼のお腹に見舞い、憂さ晴らしさせてもらう。
 それだけなのに彼は血を何度も吐き、そのうち動かなくなってしまった。
「……」
「力を抜いてあげたのに、本当に人間って脆いものね」
 彼の大事そうなボウガンも踏みつけて破壊する。もうきっと彼も戦意を失っているだろう。
 だがそうじゃなかった。彼は私にしがみ付き、起き上がろうとしているのだ。
「ふざけ……このまま、死ねるわけ……」
「あら、すごいわね。まだやろうって言うなんて」
 必死に顔を起こし、私に憎悪の表情を見せてくる。私は彼の髪の毛を握り締め、持ち上げた。
 宙ぶらりになっても彼はもがこうと必死だった。私の顔に向かって血の混じった唾液を吐きかけたりもしてきた。
「放せよ……」
「ええ、放してあげるわよ」
 後ろを向き、振り下ろす様に彼を地面へと叩きつける。体の中にある臓器が潰れたのか、大量の血が飛び散った。
 手を離してやると千切れた髪の毛が何本か手に残っていたので、両手を叩いて彼の毛を捨てた。
「ほら? 放してあげたでしょう?」
「……」
「もう、何か言ってよ」
「……」
「死んだ?」
「うっ……」
「良かった、生きてるじゃない」
 生きてると言っても瀕死に近いだろう。最早呼吸をする以外のことは出来なさそうだ。
 仰向けのままで動こうとしない彼の右手。私が踏み潰した彼の右手。私はそれをスキマから取り出した新しい刀で切り落としてやった。
「っっっっっ!」
「もう骨は粉々でしょうし、いらないでしょう? どうせあっても邪魔だと思うわ♪」
 もう一つ潰していた彼の左足も切り落としてやった。後で煮込みにでもしてお昼ご飯に使えばいい。
 大量の血を流し、体の一部を失って虫の息のカツヒコ君。なんて無様な姿であろうか。
 それをしたのは私であるが、カツヒコ君ならもっとがんばれると思った。もっと私を苦しめてくれると思った。
「やっぱり巫女には全然届きそうにないわね。空も飛べない人間が私を殺すなんて無理だった、ということかしら」
 彼は何も言い返してくれない。もう私に悪口を言ってくれなくなった。
 この場で彼を殺してやっても良いが、見せしめとして里へ送り届けてあげようと思う。
 私を睨んでくれない、死にかけのカツヒコ君になんかもう興味がない。
「さようなら、私を恨んでくれた人」
 指を鳴らし、スキマを広げて彼を飲み込んだ。結界を彼の住まいがあった場所へ繋げ、彼をそこまで運んでやった。
 藍を呼んで彼の左足と右手を煮込みにして頂戴、と頼んだ。
 ここまで体を死なない程度に潰しておけば、もう私に刃向かおうとしなくなるだろう。
 失望した。心底失望した。もう私から彼に会いに行くということはないだろう。
 彼を里へ送った後も生きているか死んでいるかなんてどうでもいい。
 今はお土産として頂戴した彼の手足を手向け代わりに食べてやるだけ。

「紫様~、出来ましたよ~」
「あら、ありがとう」
 暫くしてようやく運ばれた人間の手、足の煮込み。
 手や足というのは当然ながら肉や脂肪が少ない。故に味付けをしっかりしてやらないと美味しくならない。
 だし、ではなく醤油を使った濃いめの味付けで食べるのが一番美味しい調理法だ。
 この手足を煮込むにも本当は数時間必要なのだがお腹が空いて仕方がないので三十分だけで、と藍には頼んだ。
 私の前にだけ置かれる箸。どうやら藍は食べないつもりらしい。
「藍は食べないの?」
「さっきお昼を頂いてお腹が一杯ですから……」
「ああ、そうだったわね」
「それに、それは私が食べてはいけない気がします」
「気を使ってくれるなんて、ありがとうね藍。じゃあ私一人で頂くわ」
 手の場合は皮と手の平にある少しの脂肪付きの肉、そして骨についている繊維状の筋肉が可食部になる。
 足の場合も殆ど似た部分になるが、踵の部分は切り落とし、骨を捨てる。ここは唐揚げにして食べた方が美味しい。
「それじゃあ、頂きます」
 彼との思い出を頭に浮かべながら味わっていく。今頃死んでいるかもしれない、等と心配しながら彼の体の一部だけを体に取り込む。
 踏み潰して骨を砕いていたせいか、中身がボロボロで非常に食べにくいことになっていた。
「それにしても紫様ったら優しいんですね。殺さないなんて」
「わかってないわね、あういう復讐に溺れた人間は生かしておくことが一番の苦しみになるのよ」
「殺したい相手に生かされる、というのが悔しいということですか?」
「そういうことね」
 私は幻想郷を愛している。幻想郷に住んでいる者達も幻想郷の一部。故に彼らも愛している。
 その彼らは出来る限り自分の手では殺したくない。彼、カツヒコ君も同様である。
 今回は藍に説明させた通りの状況だから生かしたままで良かった。
 そうでなければ藍に笑われる所であった。
 妖怪のくせに人一人殺せない軟弱物、と思われされるなんてのは避けなければいけない。
 藍は今でも彼のことを快く思っていないはずだ。そのことを突かれては自分の式神に弱みを握られるのと同じ。
「ああ、美味しかったわ。久しぶりの人間、ご馳走様」
「お粗末様でした。綺麗に召し上がられましたね」
「お腹が減っていたからね」
「でも良かったんですか」
「何を?」
「紫様はあの人間に好意を寄せていたのでは……」
「乙女の心というのは、秋の空の様に移り変わりが激しいものなのよ」
「本当ですか~?」
「……じゃあ後片付けよろしく。私は巫女のところへ行ってくるわ」
「はぁ」
 面倒なことを押し付けて博麗神社へ逃げる振りをする。神社へ行ったというのは嘘。
 人気のない所へ逃げ、カツヒコ君の幼い頃を思い出したりして一人で失恋の寂しさに耽った。

   ※ ※ ※

 藍にはああ言ったが、やはり彼のことが心配になってきたのだった。
 そう思いながらもいつもの様に里へ行くことは暫く自粛してきた。
 だが半年ほど我慢した頃、居ても立ってもいられなくなった私はまたまた変装し、里へ向かった。

 里の喧騒さは相変わらずだった。特に不審なところは見られない。
 例の酒屋へ入り、いつもの焼酎とおつまみを頼む。
 主人は若い男。確かこの前主人の息子がこの店を引き継いだとかだったはず。
 店内を見渡すと店の人は息子さん一人であった。
「お待たせしました、焼酎とおつまみです」
「あの、奥さんが居なかったかしら?」
「……二ヶ月前に亡くなりました」
「え?」
「妖怪に襲われて……ああ、いえ、お酒が不味くなりますので、もう、あの、はい」
「いえ」
「本当に、すいませんね」
 主人の息子さんは客の私を気遣った。あんなに仲が良さそうな感じだったのに、そういうことになっていたとは。
「あの、尋ねたいことがあるんだけど……大丈夫かしら」
 こういう空気になるとは思っていなかっただけに、話しかけ辛い。
 だが若主人は気丈にも笑顔を見せてくれた。
「大丈夫ですよ」
「……」
「本当に、大丈夫ですから。幻想郷じゃ妖怪に襲われるのは仕方ないですし。……ということで妻の死をないがしろにしているわけではありませんけど、くよくよしたって、どうしようもありません」
「そう……」
「それで、中村さんのことでしたっけ?」
「どうしてそれを? 覚えてくれていたの?」
「ええ、まあ……。あの人でしたらこの前強い妖怪に挑んで、ボロボロになって帰ってきましたよ」
「死んだの?」
「いえ、お医者さんのお陰で命の方は助かりましたよ。ただ、右手と左足を妖怪に奪われたとかで、生活に苦しんでいるそうです」
「そう……」
 生きているということに驚いた。出血も酷い状況だったろうに。
 ただ、安堵した。彼を治療した医者に対して感謝の気持ちが生まれる程に。
「ただ、あの人はもう妖怪退治の仕事、無理でしょうね」
「というと?」
「だって、体が不自由なんですよ?」
「不自由だろうと、彼は彼よ。きっと彼は妖怪退治の道を諦めないわ」
 愛人を妖怪に殺されたという、少し可哀想な主人に代金を多めに置いていった。
 また値上げしました、なんて言われるのではと思ったからだ。
 そして偶然にも彼との再会はすぐであった。酒屋を出たところで彼にバッタリ会うのであった。
「お前!」
「か、カツヒコ君?」
 彼の姿は随分とみすぼらしい姿になっていた。筋肉が随分と落ちていたのだ。
 これでは天狗どころか、野良妖怪にさえ負けるのでは、と疑うほどに体がなまっていそうに見える。
 右手があった所には傷口を隠すための布が巻かれている。その右手の腕には新しいボウガンがついていた。
 左足のあった所には特別製の靴をつけている。靴といっても靴底の部分に長めの木の棒がくっついている、義足の様なものである。
「こんな所で何してやがる!」
「酒屋から出てきたのよ。お酒を呑みに来た以外ないでしょう?」
「うるせぇっ!」
 すかさず彼は矢を装填しようとする。……が、動作がとても遅い。
 矢筒に伸びた彼の左手は震えている。指も同様に震えており、明らかに怪我が完治していない様子。
 よく見れば足もガクガクとしていて非常に不安定だ。よくもまあこんな状態になっても妖怪退治を諦めないものだ。
 だがこうでなければカツヒコ君らしくない、とも思えた。
 とはいえ相当酷い状態。よくこんな体になっても喧嘩を売ってくるものだ。
「く、くそ……」
「まだなの?」
 唯一無事な方の手も随分と痛めつけていたせいか、彼はまともに動かせないでいる。
 ようやく矢を掴んだかと思うと地面に落としてしまった。
「何やってるのよ、もう」
 矢を拾って彼に渡そうとした。彼は矢を振り払ってしまった。
「余計なお世話だ! お前、殺されたいのか!」
「そんなもので私は殺せないというのに」
 彼はボロボロの体を動かして自分で矢を拾おうとしている。
 こんな体をしているのに。そんな玩具じゃ私は殺せないというのに。
 それでも私を憎んでいる彼の姿を、これ以上見ていられなくなってきた。
 どうして彼は私に敵わないということを理解しようとしないのだ?
 いい加減諦めたらどうなのだ?
 名残惜しくなってきたからわざわざ里にまで尋ねてきたは良いが、彼はどうしようもない愚か者でしかなかった。
 まあいい。どうせその体ではもう二度とマヨヒガには来れまい。もし来たら藍に殺させよう。
「おい、待てよ!」
「死ね」
「あ?」
「もうあなたなんて大嫌い。一切の魅力を失ったカツヒコ君なんてもう見たくない」
「何言ってんだよ、おい!」
「さようなら。もうあなたと会うことはないでしょうね」
 騒ぎを起こしたせいか、周りには里の視線が集まっていた。
 それでも私は気にせずスキマを広げた。変装の術をかけたままであろうとお構いなしに結界を潜った。
 とにかくその場から逃げ出したかった。

   ※ ※ ※

 自分の部屋に戻ったところで猛烈な悲しみに襲われた。
 私の中で一つの恋愛が終わったのだ。
 私の方から目をつけ、自分勝手で始めた恋をまた自分の都合で終わらせた身勝手な恋。
 人間と恋に落ちたことは今回が初めてではない。何度も経験した。
 同じ数だけ終わりも経験した。なのに恋の終わりにやってくる悲しみには耐えられなかった。
 胸が張り裂けそうになる。咽び泣いたところで悲しみは誤魔化せない。
 カツヒコ君、カツヒコ君、カツヒコ君。彼の名前を呼んだところで私のことをめりいと呼ぶ彼は居ない。
 がむしゃらに暴れまわったりしたところで、彼のことを忘れられるわけではない。
 そのうち藍が飛び出すように入ってきた。私は藍に飛びつき、彼女の胸の中で泣いた。

   ※ ※ ※

 あれからもう二、三十年は経っただろうか。
 幼かった博麗の巫女は年を取って小皺が出てくる年齢に達していた。
 そのうち巫女が世代交代する時期。もう何度見たことになるのか覚えていない光景。
 何となく思い出した里の酒屋が恋しくなったので、いつぞやの様に変装して行った。

 今の時間はお昼時。ここの酒屋はお昼でもやってくれるのでありがたい。
 少し肌寒い季節。ワンピース一枚で来たのだがさすがに寒い私は、人気のないところでスキマから上着を取り寄せた。
 酒は夜に呑むものではあるが、夜は夜で友人知人と呑む。こうやって一人で酒を呑みたいときはやはり昼間に限る。
 酒屋へ入って行く。例の主人も年を取り、前の主人に顔が良く似てきた。
 いつの間にか新しい奥さんも迎えていたようで、少し年のいった女の人と酒屋を切り盛りしていた。
「いらっしゃい! あ、確か中村さんをいつも探してる……」
「こんにちは。あれから暫く来ていなかったと思うんだけど、よく覚えていてくれたのね」
「ええ、まあ。あんた、確か……八雲紫さんだね?」
「あー……覚えていたの?」
「ええ。と言っても、子供の頃から知ってました」
「と、言うと?」
「だって、お父さんがこの店をやっていた頃からずっと来ているのに、年取ってる様に見えないんですから。お父さんからもあの人は妖怪だ、とか聞かされたりしてました」
「その妖怪である私を追い出したりしないの?」
「……確かにあなたは妖怪だ。その姿も変装したものだって聞いたことがある。でも僕の元妻を殺した妖怪かどうか知らないし、昔から来てもらっている常連客だ。妖怪だからといって邪険にするつもりはありませんよ」
「そう、ありがとうね」
「いえ。僕は中村さんみたいに生きられないので、割り切っていくしか無いだけです」
 そして主人は黙って焼酎とおつまみを出してくれた。
「また中村さんの様子を見に来たんですか?」
「え、ええ。そう」
 そういうつもりではなかった。ただ酒を呑みに来ただけだというのに。
 ここでまた彼の消息を聞けば、あの悲しみに囚われるのではと怖くなった。
 だが気にならないのか、と訊かれれば首を振ってしまうのだろう。
「あの人はもう、殆ど死んだようなもんですよ」
「ちょっと、それどういうこと?」
「ほら、あれですよ。ボケって奴」
「……」
「中村さんはあれからも、あなたをやっつけようと努力していたらしいです。ただやっぱりというか、あの体じゃ普通に生活するのに一杯一杯で。それにあの人、奥さん居ないんですよね。あなたを追いかけることにしか目が無かったわけですから。つまりボケたあの人を世話してくれる人が居ないんですよ」
「ああ……」
「中村さんの家、見に行きますか? 店があるので連れて行くってことは出来ませんけど、住所なら教えられますよ」
「いえ、いいわ」
「本当ですか? 本当に知りたくないんですか?」
「な、何よ」
「いえ、何となくあなたは中村さんの所へ行っておいた方が良いような気がして。あの、余計なお世話だとは思いますけど」
「……いいわ、教えて頂戴」
 まさか主人からこんなダメだしをされるとは思っていなかった。
 もう絶対に会わないと決めていたのに、あっさりとその決意を壊してしまった。
 だがこのまま会わずに居たらもう彼とは一生会えない気がしてきたのだ。
 彼の住んでいる家の場所を聞いた私は代金を置き、急いで店を出た。

 教わったカツヒコ君の住所は里の西の方であった。
 確か彼の昔の家は別の人間が住んでいたはずだから、そこではないことは知っていた。
 辿り着いたところにある彼の家は随分と古ぼけたものであった。
 そういえば彼が小さい頃家に泊まったときもこんな感じだったと思い出す。家に思い入れのない人だったか。
 深呼吸し、気を落ち着けてからノック。だが反応は無かった。おそるおそる扉を開け、勝手に入らせて頂く。
 声をかけてみるがやはり反応はない。
 家の奥の方であまり嗅ぎたくない匂いがした。生活臭というか、すえた臭いがする。
 堪えて奥の部屋に足を踏み入れた。そこには念願と言いたくは無いが、愛しかった彼がそこに居た。
 いかにもなみすぼらしい姿で椅子に座っている。
 食事をまともに取っているのか不安になるほど細い手足。部屋のあちこちから軽い異臭がする。顔色も悪い。
 服もほとんど着たままなのか、酷く汚れている。お風呂にも余り入っていないのだろう。
「か、カツヒコ君?」
「あー」
「カツヒコ君?」
「うー」
「……」
「あー」
 かなり重症な痴呆の様子だった。話しかけても返事はない。
 彼の目の前で手を振っても反応がない。汚そうな肩を叩いてもやはり返事がない。
 酒屋の主人から聞いていたよりも、ずっと酷い状態であった。
「お、おお……こっちおいで、ワシに顔を見せておくれ」
「え?」
 彼が目を覚ました? いや、でも様子がおかしい。
「年寄りの爺に孫の顔ぐらい見せておくれ」
「わ、私が孫ですって? 冗談も程ほどにしてよ」
 覚ましたわけではなかった。痴呆の症状であった。
「それにしても、お前さんみたいな顔……見覚えがあるのう」
「そう? そういえば……私もあなたの顔、すっごく見覚えがあるの」
 ボケてはいるが話し相手になってあげても良いと思った。だから私は彼のボケ話に合わせる。
「ワシはある女性をずっと追いかけていた。その人に良く似ている。彼女……あいつは妖怪だったと思うが」
 少しずつ思い出してきたのか? しかし老いては、体すらろくに動かないだろうに。
「とても綺麗な人だったと思うんじゃがな」
 今彼は何と言った? 私が綺麗?
 あんなにも私を憎んでいたカツヒコ君がそんなことを考えていただなんて、ありえない。
 絶対にない。だって彼は私の素顔を気に入らなかったのだから。
 だからこのボケたカツヒコ君の言っていることは妄言に違いない。
「そいつに良く似て、本当に美人じゃのう。思えば、あれは一種の恋だったかもしれん」
 やめて、そんなこと言わないで。
 あんなにも敵意むき出しただった彼の口からそんな言葉聞きたくない。
「確かすごく嫌いな相手だったと思うんだがな……ただ、綺麗だった。心の底からそう思った」
「やめて……やめて!」
 ここまで自分が妖怪でいることを悔やんだことは無かったと思う。
 もし私が普通の人間だったら。もし彼と人間の様な出会いをしていたら。
 もし彼、カツヒコ君の父親が妖怪に殺されず、妖怪を怨まない人として育っていたら彼は妖怪の私でも好きと言ってくれただろうか。
「もうどうせ長くはない、どうか顔を近くで見せてはくれないか」
「駄目よ……駄目。それは出来ない。今更そんなことを言われても、卑怯じゃない!」
 彼は虚ろな視線を空に放っている。私は出来るだけ目を合わせないようにするも、彼が気になって仕方がない。
 今更好きだったみたいなことを言って、おまけに死期が近いなんて言われても困る。
 私には人の死期を遠ざけるようなことは出来ないのに。
 ふと気がつくと、彼が私を認識してこちらを見ている気がした。
 慌てて見つめ返すと、やはりこちらを見つめている。
 そしてその目が怒りに満ちたものに変わっていく。そう、懐かしい彼の表情だ。
 憎悪に満ちた復讐の目つきをこちらに向けているのだ。
「思い出した?」
「思い出したよ……全部思い出したよ。俺の目の前にいる女が、殺したかった相手だってな」
「ええ、そうよ。私は──めりいよ」
 昔の彼なら私に飛びついていただろう。だが今の彼ではそんなことも出来ないに違いない。
 事実、私を睨んではいるが一向にそういうそぶりを見せない。そこまで体を動かすのが苦痛になってしまったのか。
「……今だから訊きたい。お前は本当に俺の父ちゃんを殺したか?」
 珍しく彼が私の話を聞きたがっている。本当にもう時間がないのだろう。
「殺してないわ」
「じゃあ、母ちゃんを殺したのは?」
「あなたの気を惹くためよ」
「……それだけか? 本当に、それだけのために?」
「そうよ」
 部屋に彼の歯軋りが響いた。今なお私を殺そうとしているのがわかる。
 だが立ち上がることすら出来ないでいる彼に出来ることなど無かった。
 弱々しい握り拳を肘掛にぶつけるぐらいしか、出来そうに無かった。
「なぜだ。何で俺につきまとった?」
「……」
「答えろ!」
「好きだから」
「……あ?」
「あなたのことが好きだから。だから、あなたの人生そのものを壊したのよ。私だけをずっと見ていて欲しかったから、あなたの復讐心を煽ったの」
「そうか……やっぱりお前はどうしようもない化物だ。妖怪だ。そんな身勝手な理由で俺の家庭をぶち壊しやがって、とんでもない奴だ」
「……」
「俺ももう長くないから正直に言おう。お前を綺麗だと思ったのは本心だ」
「え……」
「お前の中身はとんでもなくどす黒い、汚いもんだと思うがな、めりいとして出てきたとき綺麗だと感じた。変装を解いた姿を見たときは、本気で綺麗だと感じた。当然お前は憎たらしいが、同時にそう思ったんだ。俺は色恋沙汰だとか、そういうものに関して奥手だと思ってるし、お前の顔もどうせまやかしの術だと思ってた。でももっと別の……なんていうか、空気っていうか、心の奥底には物凄く純粋なものを抱えてるんだなって思った」
「カツヒコ君……」
「教えてくれ。お前は一体何なんだ? 何者なんだ? お前は一体何を考えて生きているんだ?」
「別に、ただ幻想郷が好きなだけよ」
「は?」
「言葉通りよ。この幻想郷に住んでいる、全てのものを愛している。あなたはその内の一つ」
「話が何だか、大きすぎてわからん。大体なんだ、それなら何でも好きってことじゃないか」
「あなたは特別なのよ!」
「……そうか」
 彼は溜息をつき、背もたれに体重をかけて座り込んだ。
 私の言葉は彼に届いているのだろうか? 私の気持ちは彼に通じているのだろうか?
 彼は私のことを本当に綺麗だと褒めてくれた。ましてや、本心からだと言ってくれた。
 今ここを離れれば彼が今すぐにでも死んでしまう気がしてきた。
 憎悪の炎を燃やしていなければ、彼は意識を途絶えてしまうのではと思った。
 だから話すべきことは、ここで全てやってしまいたい。
「私からも一つだけ、良い?」
「ああ、言えよ」
「どうしてカツヒコ君は私のことをめりいって言うの?」
「お前が俺のことをカツヒコ君、っつうからだ。だから俺はあえてそう言い続けた。それだけだ」
「カツヒコ君……」
「いい加減その君付け、辞めろよ。俺を何歳だと思ってやがる」
「私からすれば百年生きられるか生きられないかの寿命しかない人間なんて、皆赤ん坊よ」
 もう一度彼は溜息をついた。何か考え事でもしているのか、目をつむってうんうん頷き始める。
「そうかそうか……結局のところ、俺はずっとお前の掌の上で踊らされたって奴なのか。お前の暇つぶしに付き合わされていたってことか」
「そ、そんなのじゃない! あ、いや、正直に言えば最初はそうだったかも……でも、次第に本気で好きになった」
「はっ! どうだかな!」
「信じてよ……こうやって皺くちゃになって、生きてるのか死んでるのかわからない、今のあなたを見ても私はカツヒコ君を愛している!」
「信用できねえな! 今こうして喋ってるのも、俺が死ぬのを待ってるんじゃねえのか?」
「ど、どうすれば信用してくれるの?」
「そうだな、切腹でもやってみろ。どうせ死なないんだろうから、簡単だろう?」
 そんなことで信用してくれるのなら、と私はスキマに手を入れて手ごろな刀を探した。
 私を馬鹿にしている様な彼の目をじっと見ながら一気に刀を腹の左の辺りに差し込む。
 急激な、熱く燃える様な痛みに堪えながら刀を握り締め、右に刀身を動かして腹を切り開いた。
 彼の目は見る見る内に変わっていき、ろくに動かせないであろう体で椅子から飛び出す。
 呆気に取られている内に刀を奪われてしまった。
「俺が悪かった! だからもう、止めろ!」
「カツヒコ君? まだ切腹は終わってないわ、刀を返して」
「お前が本気だってことがよ~くわかった! 俺の負けのままでいい! だから切腹なんてもうしなくていい!」
 ようやく彼は私のことを信じてくれたみたいだ。
 以前の私ならここで高笑いし、彼を半殺しにまで追い詰めて裏切り、彼の感情を弄ぼうとしただろう。
 でも今の私にはそんなことできない。そんなことをする余裕がない。
 彼に信じてもらいたい。その一心で私は彼の言うことを聞いたのだ。
 そして彼は私にもう切腹なんてしなくていいと言ってくれた。
 なんて優しいんだろう。やはり私が好きになる程の人だ。
「ありがとうカツヒコ君、わかってくれたのね」
「ああ! つくづくお前は酷い女だ! 最低の女だ! こうやって俺の心が折れるとわかってて、やりやがったんだろう!」
 カツヒコ君は震える手で私の切り裂いた腹に手を当ててくれた。
 放っておいても傷は塞がるが、彼が傷を押さえてくれたお陰でより早く治っていく気がした。
「勘違いするなよ、俺はお前を許したわけじゃねえ。お前が俺を本気で好いてくれる、てことを理解しただけだ」
「ええ」
 血が止まってきたところで彼にもう一度礼を言い、彼を椅子に座らせた。
 驚くほどに軽い彼の体はとても脆そうで、頼りないものに見えた。
「なあ、最後に俺の頼みを聞いてくれないか」
「何でも言って」
「俺を愛してくれ。せめて死ぬ前に他人の温もりを味わいたい。後はもう、それだけだ」
「ええ……そんなことでいいのなら」
 私は髪をかき上げ、彼の顔を覗き込んだ。相変わらず私を憎む目をしているが、今の彼には少しばかり優しさが滲み出ている。
 彼が目を閉じた。私も目を閉じる。ゆっくりと体を前のめりに傾け、唇を重ねた。
 初めて味わう、彼の唇。その唇はとても冷たかった。もう今にも逝ってしまいそうな程彼が儚く見える。
「次こそ殺す」
「え?」
「言っただろう、許したわけじゃないってな」
「ええ、わかってる。わかってる……」
「次に生まれ変わったら、お前を探し出して今度こそ殺す」
「カツヒコ君……」
「絶対殺す。必ず殺す。仇を取ってやる」
「ええ、待っているわ。いつまでも、ずっとあなたのことを待っているわ」
 私はカツヒコ君に泣いていることを悟られないために慌てて背中を向け、家を出て行った。

   ※ ※ ※

 あれから私は暫く顕界に顔を出さないことを決めた。マヨヒガに引きこもり、細々とした生活を送っていくことにしたのだ。
 彼と別れた後、私は食事が喉を通らないほど苦しかった。
 今頃死んでしまったのかもしれない。彼は葬式をしてもらえているのだろうか? きちんと成仏して、三途の川を渡りきれたのだろうか?
 そうやって少しでも不安になると、自分の感情がネガティブな方向へ行くばかりであった。
 一人で泣き出してしまうこともあった。藍と一緒に居るときでもお構いなしに泣いてしまうことがあった。

   ※ ※ ※

 私は妖怪だ。それもかなり古くから生きていて、幻想郷の深い闇の部分に関係している妖怪だと思っている。
 人生経験、もとい妖生経験だって自分が何歳になったのかよくわからない程度に積んできているはずだ。
 そんな私でも彼と過ごしてきた瞬間を思い返すと酷く胸が痛んだ。
 だからといって私は自然の摂理に背く様なことだけはしたくない。
 私はその気になれば死後の世界に行くことができるし、彼の魂を現世に連れ戻すことだって出来る。
 でもさすがに死んでしまった者を復活させるなんて出来ないし、そんなことをすれば閻魔の反感を買うだけだ。
 それに彼だって、私の手引きを受けてまでしてこの世に生まれ変わることを望んでいないだろう。
 楽園の閻魔がどんな判決を下すのかまでは私にはわからない。
 彼の望む通り、すぐに転世してもらえるのか。普通の幽霊と同じく冥界に行って、百年単位で転世を待つことになるのか。
 少なくとも地獄に送られることは無いだろう。
 常に私のことを憎んでいたが、彼と同じ人間にまで手荒な真似をする人じゃなかったと思うから。

   ※ ※ ※
 
 遥か遠くから里や山を眺めているだけの生活が続いた。
 博麗の巫女ももう二、三世代ぐらい交代しているであろう頃に私は意を決して里へ降りることにした。
 藍がついていった方がいいのでは、と言ってくれたが断った。
 さすがに彼のことは吹っ切れたと良い、心配させないようにしてマヨヒガを出た。
 念のために変装の術も使っている。久しぶりに見るワンピース。
 私は気分を変えるためにワンピースを辞め、無地のブラウスと地味な色のスカートにしておいた。
 カツヒコ君が子供の頃住んでいた家は無くなっており、畑になっていた。
 最後に彼と別れた場所は家を建て替えたのか、全然違う形の家が出来ていた。そこの住民も全然違う人であった。
 彼の魂は今どこにいるのだろう。幻想郷のどこにいるのだろう。地獄に落とされることなく、転世できたのだろうか。
 そんなことを考えながら、私はよく行っていた酒屋に向かった。
 酒屋は看板や建物こそ変わっていたが、酒屋自体は運営を続けていた。
 主人と思わしき者は中年ぐらいの女性になっており、夫と思われる同じく中年ぐらいの男性が雑用をこなしていた。
「いらっしゃい。何にします?」
 そういえばここにはもう何十年、いや二、三百年ぐらい来ていなかっただろうか。
 さすがに私を覚えている者など殆ど居ないだろう。今居る巫女にさえ挨拶していないのだから。
「焼酎と、何か適当なおつまみを頂戴な」
「わかりました、少々お待ちを」
 きっといつもの、と頼んでも首を傾げられるだけだろう。だから私は普通に注文した。
 今いる主人さんは見たことがない顔だった。前にいた主人とは殆ど似ていない。
 もしかすると全然別の家系の人がやっている酒屋なのかもしれない。
「お待たせしました。お客さん、ここら辺で見ない人ですね? どこに住んでらっしゃるんで?」
「里から離れたところで一人暮らしですよ」
「そうなんですかー、通りで見たことのない人だと思って」
 お酒を一口含んでみると、随分と味が変わっていることに驚いた。
 昔とは違う酒屋から仕入れているのだろうか?
「あ、いらっしゃい」
 カウンター席に新しい客が来た。私から一つ席を空けた所、隣の隣に若い男性客が座った。
 体が大きく、筋肉の盛り上がりが凄まじい。力仕事でもしているのか、はたまた妖怪退治屋か。
「麦酒をくれないか。大きなグラスで欲しい」
「はい、ちょっとお待ちを」
 男の横顔が気になって仕方がなかった。そう、見れば見るほど彼、カツヒコ君の顔にそっくりなのだ。
「お待ちどうさん」
「おう」
 男はぐびぐびと酒を煽る様に飲み干してしまった。
 カツヒコ君のお酒を呑む姿は見たことがないので比べ辛いのだが、雰囲気は限りなくカツヒコ君に近い。
「何だ?」
 ジロジロ見てしまっていたのか、男に怪しまれてしまった。
 折角なのでこの人にカツヒコ君のことを打ち明けてみようと思った私は隣の席に移動した。
「ナカムラカツヒコ、という人を知っていますか?」
「いや、知らん」
「あなたに良く似ているんです」
「そうか。でも俺はナカムラじゃねえよ」
「そうですよね……彼はもう、死んでしまった人なので」
「俺は一人で酒を呑みたいんだ、もう用が無いのなら離れてくれよ」
 どうやら彼の生まれ変わった姿だろうこの人は私のことを覚えていないらしい。
 当然か。生まれ変わるときに記憶というものは全て失うのだから。
「すいません、お邪魔しました」
「いや、わかってくれればそれでいい」
 また一つ間を空けた席に戻った。主人はこの男性客のことを「女性に興味を持たない人なんですよ」と言った。
「ご馳走様でした。お会計、お願いね」
「はいはい! ありがとうね!」
 値段は前に来たときと大して変わっていなかった。
 またこの酒屋に来れば彼の生まれ変わりと思わしき男と会うことが出来るのだろうか。
 あの男が年老いて死に、また数百年して里を探し回れば彼の生まれ変わりに会えるのだろうか。
 会えるだろう。ここが幻想郷だからだ。
 彼は今でもこの幻想郷にいる。私はそう確信している。
 私を殺す、と意気込んで死んで行った彼なら絶対に私を探し出すだろう。
 そのときはまた憎しみの眼圧をかけて欲しい。そのときになれば私は彼を祝福したい。
 だって私は彼を愛しているのだから。彼の住むこの世界、幻想郷そのものを愛しているのだから。

 今日もまた誰かが死に、誰かがこの世に生まれてくるのだろう。
 そうして人々や人でない者達、魂達がこの世とあの世を廻り続ける。
 巡り廻って、輪廻転生。三千世界に終わりなき連鎖が生まれて、万物は円環する。
 私はそういったもの達を観察し、暇潰しにその輪の境界を弄ぶ者なり。



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あとがき
 誰が何と言おうともゆかりんは純粋無垢な少女。
 「めりい」はあくまで紫自身が思いつきで自分につけた名前にすぎません。何の意図もありません。

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